ノーベル平和賞の椅子は政府が張りめぐらした「警戒線」によって縛られ、そこに到達することは許されない。こういったさまざまな中国の現状を皮肉った風刺画それがこのナゾナゾの解だ。これだけのストーリーをこの一幅の絵に託した「南方都市報」に「網民」(ネット市民、ネットユーザー)たちは拍手喝采を送った。
その勇気を讃え、機知に富んだアイディアに賛辞を惜しまなかった。2010年9月7日に起きた尖閣沖漁船衝突事件もまた中国のネット空間で激しく燃え上がった。
日本の一部の民間人がネットで予告していた反中デモの情報を中国の若者たちが中国国内からアクセスするネット空間でキャッチし、それに対抗するため同じ日の同じ時刻である10月2日午後2時から一連の反日デモを引き起こした。
2010年7月の時点で中国の網民の数は4億2,000万人に達しており、その約60%が10代~20代の若者たちだ。中国各地で燃え広がっていた反日デモの旗手たちはこの世代である。デモが広がればその矛先が中国政府に向かってくる可能性があることを政府自身が知っている。
中国人民は貧富の差や物価高、あるいは就職難などに関して激しい不満を政府に持っているからだ。政府の裏側では必死で反日デモの広がりを抑え込むべく協議がなされていた。しかし下手に抑え込めば逆の反発が来る。抑之込まなければ政府に向かってくる。
だからせめて膨大な数の警官を配備してにらみを利かすしかない。事実、一連の反日デモは広がるにつれて反政府の色彩を帯び始め「住宅価格高騰に反対する」とか「多党政治を導入せよ」あるいは「英九兄さんよ、中国はあなたを歓迎している」という横断幕さえ出現していた。「英九兄さん」とは台湾総統である馬英九のことで「民主政治」を行っていることを指している。つまり「民主化の要求」なのだ。
中国政府が反日デモを恐れるのは、まさにこの一点にあった。ネット空間からリアル空間に飛び出した若者たちが暴走すればそれは必ず第二の天安門事件を招来する危険性を孕むことになる。中国政府が最も恐れているのはまさに1989年に大学生たちが天安門広場で繰り広げた民主化運動の再来だ。
その天安門広場は今やネット空間に移りつつある。ネット空間は「官」と「民」のネットパワーの攻防戦の様相を呈している。中国の憲法三五条では言論の自由が謳われている。しかし現実的にはそれは「政府を礼賛し共産党を讃える自由」であって政府や党に関する限り真実や自分の意見を思うままに公表することは決して許されない。
だから中国の網民は日本や欧米の自由主義国家では考えられないほどの執着を匿名性の高いインターネットに対して持っており「新意見階層」という群像をさえ生み出している。「広範囲にわたる瞬時の伝播性」というインターネットの特徴も力を発揮している。
4億を越える網民の1人1人が一つの放送局を持っているようなものだ。誰もが対等に意見を発表することができ、それに共鳴した他の網民が巨大な「ネット世論」を形成していく。
また、中国語で書かれた情報は中国大陸を越えて全世界に散らばる華人華僑の目に触れ、それぞれの国においてその国の言語に翻訳されてまさに全地球を覆っていくのである。どの国にも「党天下」の施政を逃れて移民し、民主化を唱える団体が待ち構えている。
中国国内のネット界では網民の中から「意見領袖」(オピニオンリーダーとして網民をリードする者)が現われ、強烈なネットパワーを形成している。「官」の不正を暴き、腐敗を糾弾して時には政府を動かし法律を撤廃させることさえある。
従来の新聞やテレビといった伝統メディアは政府のコントロール下にあるトップダウンの報道伝達であったのに対し、ネットメディアは社会的地位や貧富の差に関係なく誰もが対等に同じ重みを持つボトムアップの言論空間だ。
中国共産党は「人民こそが主人公」というスローガンを掲げながらトップダウンの思想を強要してきたがネット空間こそは、まさに「網民こそが主人公」という、地から湧き起こる声を具現化した。その声が政府を動かし、国をも動かし始めているのである。