都市部と農村部の隔たり

中国で都市戸籍と農村戸籍が区別されるようになったのは1950年代、毛沢東が食糧供給を確保するため、その生産者である農民が自由に移動できないように土地に縛り付ける目的で実施したのが始まりです。

その後の「改革・開放」によって沿海部の輸出工場で単純労働者需要が生まれ、農民が都会に移動することには制限がなくなりましたが戸籍については、60年近くも前に定められた都市と農村を分離する制度がいまなお続き、農民工たちの生活を苦しめているのです。

農民エたちをとくに悩ませているのが教育の問題です。郡昨戸籍を持たない農民エの子どもたちは無償で通える公立学校に入学することができません。そのため子どもを田舎に置いて一家離散状態を余儀なくされたり、有料の私立学校に通わせたりします。

私立学校といってもお金のない農民工の子ども向けに運営されているのは図書館や音楽室、グラウンドといった施設もろくに整っていない学校ばかりです。その分、授業料は月200元~300元(約2,400円~3,600円)前後と安めですが、農民工の月収がせいぜい1,000元~1,500元(約1万2,000円~1万8,000円)であることを考えれば、かなりの出費です。

やむを得ず子どもの進学を諦める農民工も少なくありません。教育がおろそかになれば、子どもの代になっても単純労働しかできなくなり「貧しさ」が子から孫、孫からひ孫へと再生産されることになってしまいます。

その結果「持てる者」と「持たざる者」の固定化が進み、所得格差はますます広がつてしまうことになります。中国政府が戸籍制度を抜本的に見直さない限りこうした状況が改善されることはないでしょう。

中国の格差問題と言うと都市部と農村部の隔たりばかりがクローズアップされがちですが、都会の中でも豊かな都市戸籍住民と貧しい農村戸籍住民(農民工など)の格差が深刻化している点も注目すべきだと思います。

農民工の膨張でスラム化が進む中国の大都会一時に比べて流入が減少しているとはいえ、各都市で暮らす農民工の人口は相当な規模に上っています。たとえば上海の場合、昔からの上海っ子(都市戸籍を持つ人)の人口が約2,000万人に対し、農民工とその家族は600万人以上に上ると言われています。

南部の大都市、広州(広東省の省都)の場合は、都市戸籍を持つ人が約700万人に対し、農民工は500万人と市の総人口の4割以上を占めています。

広州は「改革・開放」初期からいち早く輸出産業が発展した場所のため、他の都市に比べて人口に占める農民工の割合が高く、すでに二世代以上にわたって戸籍のない状態のままで定着している農民工一家も少なくありません。

そうした農民工たちの生活の受け皿になっているのが「城中村」という場所です。「城中村」とは経済発展とともに都市化が拡大する過程で周りを近代的な商業ビルやマンション群に取り囲まれながら村として取り残されてしまったエリアのこと。

都市(中国語で「城」)の中に残された村であることから「城中村」と呼ばれています。城中村はもともとは農村だったのですが、都市化とともに地方政府に農地を接収された農民がそれで得た資金を元手に残されたわずかな土地に安普請のアパートを次々と建てることによって形成されていきました。

そうした城中村は北京、深洲、広州、福州、南昌、天津、青島、西安などそれぞれの主要都市ごとに数多く存在し、広州だけでも100ヵ所以上に上ると言われています。

広州で城中村の数が増えたのは輸出産業の発展とともに同市を目指す農民工の数が急増したからです。農民工の月収はせいぜい1,000元~1,500元(約1万2,000円~1万8,000円)ですから住宅費にお金をかけることはできません。

城中村の安アパートなら家賃は月に300元~500元(約3,600円~7,200円)それでも彼らにとってはかなり高いのですが、普通のアパートに比べれば生活コストを相当抑えることができるのです。ちなみに「蟻族」の若者たちの多くも農民工と同じように城中村を住み家にしています。

— posted by チャパティー at 06:12 pm