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尖閣問題は日中衝突時代の幕開けにすぎない

この目標設定では、あくまで環境汚染やエネルギー不足のペースが緩和できるだけで減少には結び付きません。経済成長があまりにも急速すぎて対策が追い付かないのです。

このように「第12次5ヵ年計画」は数多くの目標の達成が困難なだけでなく目標自体の意味に疑問符が付くものも多く見受けられます。この「第12次5ヵ年計画」の途中で胡錦濤国家主席が率いる現在の政権は次の新政権にバトンタッチされることになります。

新たな政権も弱者救済を旨とし、貧富格差の是正や個人所得の向上、環境やエネルギー問題の改善を目指して邁進することは間違いありませんが、その政策遂行能力はいまのところ未知数です。2021年に発足する新政権が数多くの試練をくぐり抜けて「国強民幸」を実現できるのかどうかは今から注目したいところです。

2010年9月7日、日本固有の領土である尖閣諸島(中国語名・釣魚島)沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件は日中関係を大きく揺るがす事態に発展しました。

逮捕された船長の拘留を延長したことに対して中国は猛反発。日本との閣僚級の往来の停止、航空路線増便交渉の中止といった断交まがいの報復措置を矢継ぎ早に打ち出し、レアアースの実質的な禁輸措置、日本への中国人観光客の規模縮小など糧攻めとも言える嫌がらせを次々と仕掛けてきました。

揚げ句の果てには中国本土にいた準大手ゼネコン、フジタの社員4人を「軍事管理区域内に無断で侵入し、撮影した疑いがある」として拘束。仙谷由人官房長官(当時)は「(尖閣問題とは)関連はないと考えている」と発言したものの、結局政府は人質を交換するような形で船長を釈放。理由はどうあれ、中国の圧力に屈する形となり、民主党政権の稚拙で弱腰な対応に対して批判の嵐が吹き荒れました。

2011年3月11日に東日本大震災が発生すると中国の温家宝首相はただちに菅直人首相に「わが事のように感じている」と見舞いの電話を入れ、すぐさま日本に対して20名の救援隊を派遣するなど心温まる支援を提供しました。

尖閣問題で悪化した日中間のわだかまりもこれで少しは解消されるかもしれません。けれども人道的見地から困っている人に救いの手を差し伸べるのは国際社会においては当たり前のことです。

中国が尖閣諸島を自国の領土として主張していることにはいささかの揺るぎもありません。いずれ震災による混乱が平常に戻れば中国は尖閣問題について今まで以上に強気な態度で日本に臨んでくるものと思われます。その根拠となるのが、震災と時を同じくして中国の全人代で採択された「第12次5ヵ年計画」です。

この計画には中国の2011年から5年間の経済や社会の目標、それらを実現するための主要な政策などが盛り込まれていますが、この5ヵ年計画から過去の計画にはなかった重要な目標が新たに追加されました。

それは「海洋経済発展の促進」です。「海洋経済の発展」と言うと漠然としていますが、これはすなわち尖閣諸島を含む東シナ海や南シナ海などで漁業や海底油田などの資源開発を積極的に進めるということです。

中国は急速な経済発展とともに食糧供給の悪化や資源不足に陥っており、それを抜本的に解決する切り札のひとつとして海洋資源の確保に力を入れようと考えているわけです。

もちろん資源の権益を自分たちの力で守ることがこの計画とセットになっているのは言うまでもありません。尖閣諸島や東南アジア諸国と領有権を争っている南沙諸島(スプラトリー諸島)などにおいて中国の艦船、巡視船による活動は今後さらに強化されることになるでしょう。

中国漁船の衝突事件以来、日本の監視強化と対抗するように中国の漁業監視船が尖閣諸島沖の日本領海の外側にある接続水域に入る動きが頻発しています。挑発的活動を繰り返し、外堀を徐々に埋めることによって既成事実的に尖閣諸島の領有権を奪い取ろうとしている中国の意図が見え隠れします。

また中国は東シナ海上の日本の排他的経済水域(EEZ)のすぐ外側で2004年に海底ガス田の開発に着手し、日本側のガスまでが吸い取られてしまいかねないことが大きな問題となりました。

その後、両国は日本側が主張する境界線(日中中間線)をまたぐガス田を共同開発することで合意しましたが、尖閣問題による日中関係の冷え込みなどによって暗礁に乗り上げ、中国側が2010年夏ごろから一方的に開発を進めようとしていたことが発覚しています。

— posted by チャパティー at 06:22 pm  

 

都市部と農村部の隔たり

中国で都市戸籍と農村戸籍が区別されるようになったのは1950年代、毛沢東が食糧供給を確保するため、その生産者である農民が自由に移動できないように土地に縛り付ける目的で実施したのが始まりです。

その後の「改革・開放」によって沿海部の輸出工場で単純労働者需要が生まれ、農民が都会に移動することには制限がなくなりましたが戸籍については、60年近くも前に定められた都市と農村を分離する制度がいまなお続き、農民工たちの生活を苦しめているのです。

農民エたちをとくに悩ませているのが教育の問題です。郡昨戸籍を持たない農民エの子どもたちは無償で通える公立学校に入学することができません。そのため子どもを田舎に置いて一家離散状態を余儀なくされたり、有料の私立学校に通わせたりします。

私立学校といってもお金のない農民工の子ども向けに運営されているのは図書館や音楽室、グラウンドといった施設もろくに整っていない学校ばかりです。その分、授業料は月200元~300元(約2,400円~3,600円)前後と安めですが、農民工の月収がせいぜい1,000元~1,500元(約1万2,000円~1万8,000円)であることを考えれば、かなりの出費です。

やむを得ず子どもの進学を諦める農民工も少なくありません。教育がおろそかになれば、子どもの代になっても単純労働しかできなくなり「貧しさ」が子から孫、孫からひ孫へと再生産されることになってしまいます。

その結果「持てる者」と「持たざる者」の固定化が進み、所得格差はますます広がつてしまうことになります。中国政府が戸籍制度を抜本的に見直さない限りこうした状況が改善されることはないでしょう。

中国の格差問題と言うと都市部と農村部の隔たりばかりがクローズアップされがちですが、都会の中でも豊かな都市戸籍住民と貧しい農村戸籍住民(農民工など)の格差が深刻化している点も注目すべきだと思います。

農民工の膨張でスラム化が進む中国の大都会一時に比べて流入が減少しているとはいえ、各都市で暮らす農民工の人口は相当な規模に上っています。たとえば上海の場合、昔からの上海っ子(都市戸籍を持つ人)の人口が約2,000万人に対し、農民工とその家族は600万人以上に上ると言われています。

南部の大都市、広州(広東省の省都)の場合は、都市戸籍を持つ人が約700万人に対し、農民工は500万人と市の総人口の4割以上を占めています。

広州は「改革・開放」初期からいち早く輸出産業が発展した場所のため、他の都市に比べて人口に占める農民工の割合が高く、すでに二世代以上にわたって戸籍のない状態のままで定着している農民工一家も少なくありません。

そうした農民工たちの生活の受け皿になっているのが「城中村」という場所です。「城中村」とは経済発展とともに都市化が拡大する過程で周りを近代的な商業ビルやマンション群に取り囲まれながら村として取り残されてしまったエリアのこと。

都市(中国語で「城」)の中に残された村であることから「城中村」と呼ばれています。城中村はもともとは農村だったのですが、都市化とともに地方政府に農地を接収された農民がそれで得た資金を元手に残されたわずかな土地に安普請のアパートを次々と建てることによって形成されていきました。

そうした城中村は北京、深洲、広州、福州、南昌、天津、青島、西安などそれぞれの主要都市ごとに数多く存在し、広州だけでも100ヵ所以上に上ると言われています。

広州で城中村の数が増えたのは輸出産業の発展とともに同市を目指す農民工の数が急増したからです。農民工の月収はせいぜい1,000元~1,500元(約1万2,000円~1万8,000円)ですから住宅費にお金をかけることはできません。

城中村の安アパートなら家賃は月に300元~500元(約3,600円~7,200円)それでも彼らにとってはかなり高いのですが、普通のアパートに比べれば生活コストを相当抑えることができるのです。ちなみに「蟻族」の若者たちの多くも農民工と同じように城中村を住み家にしています。

— posted by チャパティー at 06:12 pm  

 

御用学者の役割

自由であるはずの新聞やテレビの報道が権力の召使いになると、それによって大衆は情報操作され、簡単に戦争に賛成する。新聞記者やテレビ報道記者の判断力がそれによってゆがめられるし、かりに正しい判断力を持った記者がいてもそれは排除される。

日本の新聞記者が判断力を持たないため情報操作されるということの一例として先に大和銀行と住友銀行の合併報道を取り上げたが同時に新聞記者が権力志向でたえず権力に寄りそっていることがその判断力をにぶらせ、誤った報道をさせるようになる。

さらに小沢氏のいうように「御用学者」もまた権力の「御用聞き」になることで誤った判断をし、学生、そして一般市民にまで誤った判断を売りつけることになる。

「御用学者」もマスコミと同様にそれ自体で権力を持っているわけではなく「政・官・財の鉄の三角形」に使われることで権力の補強機関、あるいは宣伝機関になっているのである。

権力の手先になっているだけなのに政治家や財界人から「先生」といわれて持ち上げられると若い学者がいかにも権力者になったような錯覚をする。そこを利用して政府は首相直属の諮問会議や各省の審議会をはじめ、さまざまな委員会を作り、その委員に財界人と並んで学者を任名する。

小泉内閣になってからとりわけこのような政府による学者の登用=「御用学者」化の傾向が目立つようになった。小沢氏の指摘はそのことを突いたものといえる。

日本の場合、今まで経済学者というのは非常に特殊な「マル経対近経」という古色蒼然たる対立構造があった。その中で近代経済学者はマル経から「御用学者」と批判されるのを恐れて現実の場から極度に遠ざかろうとしていた時期があった。

しかし経済学という実践の学問の場でそういうのは非常なアナクロニズムといわざるをえない。これは竹中平蔵氏が小泉内閣の経済財政政策担当大臣になったあと行なったインタビューでの発言で「論座」(2001年10月号)に載ったものである。

「御用学者」という言葉は竹中氏が言うようにマルクス経済学者だけが言っている言葉ではない。マルクス経済学者の中にも戦後、吉田内閣などに協力して「御用学者」になった人もいたし、最近でもマルクス経済学から転向して「御用学者」になっている人もいる。

「広辞苑」によれば「御用学者」というのは「学問的節操を守らず、権力に迎合・追随する学者」だとされているが、古来こういう「御用学者」はたくさんいた。

しかしいつのまにか「御用学者」という言葉が使われなくなり死語になっていた。それというのも「御用学者」があまりにも大勢になったのでもはや軽蔑の意味をこめたこの言葉を使う必要がなくなったということかもしれない。その死語をよみがえらせた小沢一郎氏の発言はそれだけに意味が大きい。

池尾愛子早稲田大学教授の「経済学者が前面に立つ時代」(論座 前掲号)によると経済学者が政府の審議会や委員会に参加するのが目立つようになったのは1994年ごろからで、そのころから経済財政諮問会議の委員、内閣府経済社会総合研究所長、内閣府官房審議官、財務省副財務官などのポストに経済学者が名前を連ねるようになった。

それ以前から各省の審議会の委員になったり付属研究所の所長になったりする学者がいたが、1990年代なかばからそれがとりわけ目立つようになったというわけである。

— posted by チャパティー at 06:03 pm  

 

国際平和維持に寄与する

私は中東とキプロスの国連軍の現場を調査してまわったことがありますが、もっとも印象に残っているのはキプロスにいる国連軍でした。シナイ半島やゴラン高原の国連軍はほとんど無人の砂漠や山地で、停戦ラインの監視やパトロールにあたっており、あまり現地住民との接触のない環境にいました。

ところがキプロスの場合にはトルコ系住民とギリシャ系住民との居住地の境界線に駐留している。この駐留地帯は狭いところは都市を走り抜けた5、6メートルぐらいの幅しかないベルトで住民が近くに多数居住している。

幅の広いところですと1キロとか2キロぐらい離れていますが広いところでも駐留地帯の土地には農民がいる。このように両方の現住民が接近している以上、小規模の紛争や撃ち合いがたえず起こる。

そういう状況で少数の兵士で不断に緊張を下げておくためには国連軍の兵士は現地の社会構造、文化、政治組織などをよく知っていて、とっさの判断で小ぜり合いや撃ち合いを鎮静することが必要です。

それから双方とのコミュニケーションを日常的によくするために時に、それぞれの側の部隊の責任者と食事をしたり兵隊同士で一緒にスポーツをやったりして人間的接触を保ち双方の間に立って調停者の機能をはたせるような訓練を1人1人の兵隊が受けていることが望ましい。

つまり異質の文化体系をもった対立する社会や集団をどうして共存させるか、その知恵と技術を備えている必要がある。武器はライフル一挺しか持っていないのですから軍事力によらずに秩序を維持する能力が要求されるわけです。

そうした現地住民との接触に加えていろいろな国からきた兵隊が地域を分担しながら協力することになるので、その点でも、異質の文化の人々と共同作業をする訓練をうけておかなければいけない。

生活水準や生活様式のちがう兵員が国連軍内でも平和的に共存し協力することが必要なのです。このように内と外とでの異文化集団の協調を可能にするにはいわば「国際人」としての訓練が不可欠です。

そこで日本に国連待機軍をおく場合、海空の警備隊とは別に個人として応募する兵員に特別の訓練を行い、待機させる。その数は1~2万名ぐらいでしょう。

そして常時日本にプールしておく。それは外に派遣されていることもあれば、日本で待機していることもある。この待機軍には3つの機能が与えられます。

第一は国連平和維持軍として勤務し国際平和維持に寄与することです。第二はこの待機軍の本隊が日本におり、一部が海外に派遣されても他は日本に残留しているときに、もし仮に外国が攻撃を仕掛けてきた場合には待機軍は軍事的には軽武装で弱体であっても抵抗し、侵入軍はとにかくそれを排除しなければならない。その時には犠牲者が出ることがあるかもしれない。しかしそれは国際的な問題になります。

日頃から日本の待機軍が国連軍の一員として紛争地域で平和維持活動の実績を積み重ねていれば、日本に残留する部隊は厳密にはまだ国連軍ではないにしろ、その安否は国際的な注意をひくことでしょう。

ですからそれは侵入者にとって軍事的ではないかもしれないが、政治的に厄介な問題を引き起こすようなそういう意味の政治的抑止の機能をもつ。それがさっき述べた非対称防衛の特徴なのです。そして第三に、待機軍での訓練は一般的に日本人の「国際化」に役立つだけでなく非武装に近い組織要員の訓練は次に述べる市民防衛のリーダーの養成にも寄与すると思います。

— posted by チャパティー at 05:56 pm  

 

アジアで中国の地域覇権を容認する

中国は従来、アデン湾の奥にあるジブチの港のフランス軍基地を借りて補給をしていたが、今後は周辺に独自の補給港を基地として借りたいとも表明している。中国は米欧の承認を得てインド洋に海軍基地を持とうとしているわけだ。

すでに中国はインド洋の諸島国モルディブのマラオ島に航路管理用の基地を1999年から持っており、インドは以前からこれが中国の潜水艦基地に発展すると疑っている。

インド洋地域で最大の国はインドである。中国はインド洋地域の国ですらない。中国とインドはいずれも2008年秋からソマリア沖の海賊退治に参加し、派遣している軍艦は2隻ずつである。

遠方から来ている中国勢は補給艦―隻を入れて合計3隻だが戦力としてはインドと同じ2隻。中国海軍は387隻の艦隊を持ち、155隻を持つインド海軍より大きいが中国は空母を持っていない。インドは英国から譲渡された古い空母を持っている。

全体として中国がインドより海軍力ではるかに勝っているわけではない。それなのに世界の主要国がすべて参加している海賊退治連合軍SHADEの中で欧米と並ぶ主導役として選ばれたのは近くの親米的なインドではなく遠くの反米的な中国だった。

このことから「米国の中枢にいる人々は中国を怒らせ、脅威を感じさせて米国に対抗して軍事拡大する方向に引っぱり出し、世界を多極化したい」という流れが感じられる。

この傾向は近年の米国の外交戦略のあちこちに見え隠れしているが断片的にしか報じられないので国際情勢を丹念に見ている人以外には「とんでも話」に見えるだろう。

中国がインド洋に進出しようと考えたこと自体、米国による「引っぱり出し作戦」に引っかかった結果だったとも考えられる。日本も中国も中東から原油やガスを買い、インド洋にタンカーを航行してエネルギーを輸入している。

日本のような対米従属の国は米軍がインド洋を守っているので自国の軍隊をインド洋に出さなくても航路(シーレーン)が守られているが中国は違う。

米国は1989年の天安門事件以来、中国を「倒すべき敵ではないが、同盟相手でもない」という宙ぶらりんの地位に置いている。米国は中国に巨額の米国債を買ってもらう半面、2007年にはインド、日本、豪州、東南アジア諸国を誘って「中国包囲網」を形成するかのような軍事演習を行うなど隠然と中国を敵視する気配を見せている。

この微妙な関係の中で中国は中東から原油を輸入し、欧州に工業製品を輸出するために通らねばならないインド洋の航路を米国に頼らず自国の軍事力で守らねばならない立場に置かれている。

中国包囲網は冷戦時代にも形成されていたが当時の中国は海路を使った輸出やエネルギー輸入によって経済成長している今とは全く異なる内向的な「自力更生」の戦略をとっており、海外航路の確保は重要ではなかった。

2007年当時、日本は自民党の安倍政権で米国が日豪インドと組んで中国包囲網を形成するかのような動きを見て「この先何十年も対米従属を維持できる」と大歓迎した。

しかしその後、中国が台頭すると米国はその分譲歩してアジアで中国の地域覇権を容認し、世界の多極化を進めてしまった。

結局、米国が日豪インドを誘って中国包囲網を形成するかに見えた動きは米国が中国に脅威を感じさせ、中国が朝鮮半島や東南アジア、インド洋での自国の影響力を拡大し、中国が出てきた分だけ米国が引っ込む「隠れ多極主義」の戦略であり、日本やインドはそれに乗せられていた観がある。

米軍はいずれ沖縄や韓国から出てグアム以東に引っ込む。インド洋の西のソマリア沖では欧米と中国が対等な立場で航路を守るSHADEの体制ができる。今後出現しそうな新世界秩序において米国の影響圏の西端はグアム島で、そこからスエズ運河までが中国の影響圏になりかねない。

— posted by チャパティー at 05:49 pm