中国インターネット状況白書

すでに3月9日、アメリカのカーク通商代表が「直接の話し合いにより問題が解決されるのがより望ましい」としながらも「中国のインターネット検閲に関してWTOを通して提訴すべきか否か検討している」と発言しており、さらに5月に北京で開かれる「米中戦略・経済対話」においてこの問題の討議を深めたいとも語った。

ただWTOを通せば数年はかかるだろうとの懸念から2国間交渉の方が早いと考えたようで少なくともその後開催された「米中戦略・経済対話」成果リポートの中には「グーグル」の文字は見られなかった。

中国側は「米国にそんな権利は根本的にない」と強く反論したが、欧州委員会のネーリー・クルス競争政策担当委員もまた「ネット検閲は貿易障壁を生み、情報交換を阻害し欧州企業の中国における公平な競争の機会に悪影響を与えるためWTOを通して処理すべきである」と述べている。

こうした欧米側の動きを牽制するかのように国務院は2010年6月8日に「中国インターネット状況白書」を初めて公表している。「中国インターネット情報センター」(CNNIC)が年に2回出している統計データとは違い、ここにはネット言論の自由やネット管理に関する中国政府の基本姿勢が高らかに謳い上げられている。

たとえばネット言論に関しては「中国政府は法に基づいてインターネット上の言論の自由を保障しており民衆の知る権利、参画権、表現権および(民衆による政府に対する)監督権を保障している」としている。

またネット管理の基本原則に関しては「公民は自由と権利を行使するときに国家、社会などの利益を損ねてはならず、いかなる組織あるいは個人も電信ネットワークを通して国家の安全に危害を与えてはならない」とし、ネット企業経営者に対する政府の管理は正当であると強調しているのだ。

白書を公開した翌日、人民網は「世界各国がインターネット管理を強めている」というタイトルで論評を載せ、中国のネット検閲の正当性を強調した。こうした一連の動きからも白書発行の目的を窺い知ることができる。苦渋の決断ながらも一度は自主検閲を受け入れてまで中国進出を決めたグーグルがなぜ撤退という選択をとったのか?

これを理解するには共同創業者の1人セルゲイーブリンの過去を知る必要がある。彼は幼い頃、ソ連共産党による抑圧という強烈な原体験を持っていたのである。モスクワで東欧系ユダヤ人の家庭に生まれたプリンは彼がまだ6歳の時に両親とともにアメリカに移住した。

父親がソ連共産党の圧政と干渉により自分の夢を叶えることができなかったことがその理由とされている。以来、プリンの脳裏からソ連で昧わった高圧的で全体主義的なやり方への憎悪と屈辱が消えたことはない。

だからこそ誰よりも「自由」の尊さを実感しているのだろう。その彼は中国市場撤退を決めた後に次のようなことを語ったとウォールストリートージャーナル電子版は報じている。中国は貧困から脱するなどの面においては確かに目覚ましい進歩を遂げているが、しかし検閲といった政策面に関しては正に全体主義の特徴を見る思いがする。

それは私の幼年時代のソ連の抑圧された日々を思い出させる。このたび受けたサイバー攻撃の対象者が人権主義者たちであったことを知り「もう十分だ」と思った。これが私の耐えられる限界だった。CEOのシュミットは中国に残る道を選ぼうとしたらしい。しかしプリンはそうではなかった。グーグルの共同創設者のもう1人、ラリー・ペイジは記者の質問に対して「プリンの言ったことが会社全体を代表している」と答えたという。

ここで中国国内のネット市民、中国語で「網民」と呼ばれる人々の反響をみてみよう。それはネット上では「G粉」と「百粉」の間の熾烈な戦いとして盛り上がりをみせた。「G粉」とは「Googleファン」のことで、「百粉」とは「百度ファン」のことである。中国語ではファンのことを「粉絲」と書く。

「百度」は中国最大手の検索サイトで市場のシェアは2009年7月時点で68%とグーグルの30%を大きく上回っていた。それでも筆者が逐一グーグル撤退についてのネット上の声を観察していたところ、最初の頃はG粉と百粉の書き込みは五分五分だった。

しかし中国政府が規制を始めた1月14日以降、G粉の声はかなり削除されていき、その後は百粉の書き込みが圧倒的に多くなった。そして百度擁護というよりもグーグル叩き、あるいは中国政府擁護といった色彩を色濃く帯びるようになる。

— posted by チャパティー at 05:31 pm  

 

日本の政治家ほど責任倫理がない人間はいない

ドットの主張に立つとこれまでみてきたようなアメリカ帝国論は崩れてしまう。「近代世界システム」(川北稔訳、岩波書店)をはじめとする著作で有名なイマヌエル・ウォーラ・ステインもドットと似たような主張をしている。

ウォーラ・ステインは「アメリカの弱さとヘゲモニーのための闘争」という論文でアメリカが最も強かったのは第二次世界大戦直後の1945年で、その後ヨーロッパが復興し、第三世界が反乱し、そして1968年の革命による反乱があり、それによってアメリカの支配力は弱まった。

それに対してアメリカは「ベルベットの手袋の中の鉄の腕」という融和政策で対処してきたがそれが失敗した。そこで出てきたのがネオコン=夕力派で、それはアメリカの弱さのあらわれだと言う。このような主張は彼の「アメリカ権力の衰退」で詳しく展開されている。はじめからアメリカ帝国は強大で万能であると前提して陰謀理論を作ると大変な誤りを犯すことになる。

まずなによりもアメリカの力がどのようなものであるかということを明らかにし、同時にそれがどのような矛盾を持っているかということを解明しなければならない。その上うな構造分析抜きの陰謀理論を唱えることは自分で誤りを犯すばかりか人びとの判断を誤らせるもとになる。

判断を誤って失敗したらその結果について責任をとらなければならない。これは人間の基本的道徳である。だから人間は判断を誤らないようにたえず努力する。

マックス・ウェーバーはドイツが第一次大戦に敗れた直後の1919年1月、ミュンヘンの自由学生同盟のために行なった「職業としての政治」という講演の中で心情倫理と責任倫理を区別し、責任倫理とは結果に対して責任を持つということであり、すべからく政治家はこの責任倫理を持だなければならないと説いた。(「職業としての政治」脇圭平訳、岩波文庫)

第二次大戦中、治安維持法違反で捕えられ、終戦直後に牢獄で死んだ哲学者の三木清は、このウェーバーの責任倫理について次のように書いている。ウェーペルウェーバーの責任倫理の観念は重要な意味を有し得るものである。

それは従来の倫理学において結果説といわれるものの新たな評価を可能にするであろう。すなわちそこでは行為の結果は単なる功利主義の立場を離れて責任という道徳の根本概念のもとに置かれる。そしてこれは自己の行為を社会的に理解することによって必然的となるのである。

我々は社会的存在であるゆえに我々の行為の結果に対して責任を負わねばならぬ。結果をおもんばかるということは個人的立場において必要とされるのでなく自己の行為の他の人びとに及ぼす影響を考える社会的立場において要求されるのである。

人間は社会的存在として社会に対して責任を負うている。しかるに行為の結果を問わない心情倫理は社会に対して無責任になりやすい。(三木清「哲学ノート」新潮文庫)そしてさらに「責任倫理が他に対する、社会に対する責任を問題にするのに反して心情倫理は自己に対する自己の良心に対する責任を重んずるという差異があるのである」と言う。

責任倫理が「他に対する、社会に対する責任を問題にする」のであれば、その判断による結果が社会に対して大きな影響を与えるのであるから、政治家は責任倫理を明確にさせなければならない。

ところが政治家、とりわけ日本の政治家ほど責任倫理がない人間はいないといってもよい。自衛隊をイラクに派遣するというのは小泉純一郎首相の判断によるものだが「国際社会の一員とてイラクの人民の安全を保護するため」に自衛隊を派遣する。

その結果、自衛隊員が現地で攻撃されて殺害されたらその責任は当然自衛隊の派遣を命令した防衛庁長官と首相がとらなければならない。テレビで見ているとイラク派遣が決まったことに対し自衛隊員は「命令されたらどこでも出かける」と言っていた。そうであるなら命令した者がその責任を負わなければならないのは当然だ。

— posted by チャパティー at 05:23 pm  

 

民主化を唱える団体

ノーベル平和賞の椅子は政府が張りめぐらした「警戒線」によって縛られ、そこに到達することは許されない。こういったさまざまな中国の現状を皮肉った風刺画それがこのナゾナゾの解だ。これだけのストーリーをこの一幅の絵に託した「南方都市報」に「網民」(ネット市民、ネットユーザー)たちは拍手喝采を送った。

その勇気を讃え、機知に富んだアイディアに賛辞を惜しまなかった。2010年9月7日に起きた尖閣沖漁船衝突事件もまた中国のネット空間で激しく燃え上がった。

日本の一部の民間人がネットで予告していた反中デモの情報を中国の若者たちが中国国内からアクセスするネット空間でキャッチし、それに対抗するため同じ日の同じ時刻である10月2日午後2時から一連の反日デモを引き起こした。

2010年7月の時点で中国の網民の数は4億2,000万人に達しており、その約60%が10代~20代の若者たちだ。中国各地で燃え広がっていた反日デモの旗手たちはこの世代である。デモが広がればその矛先が中国政府に向かってくる可能性があることを政府自身が知っている。

中国人民は貧富の差や物価高、あるいは就職難などに関して激しい不満を政府に持っているからだ。政府の裏側では必死で反日デモの広がりを抑え込むべく協議がなされていた。しかし下手に抑え込めば逆の反発が来る。抑之込まなければ政府に向かってくる。

だからせめて膨大な数の警官を配備してにらみを利かすしかない。事実、一連の反日デモは広がるにつれて反政府の色彩を帯び始め「住宅価格高騰に反対する」とか「多党政治を導入せよ」あるいは「英九兄さんよ、中国はあなたを歓迎している」という横断幕さえ出現していた。「英九兄さん」とは台湾総統である馬英九のことで「民主政治」を行っていることを指している。つまり「民主化の要求」なのだ。

中国政府が反日デモを恐れるのは、まさにこの一点にあった。ネット空間からリアル空間に飛び出した若者たちが暴走すればそれは必ず第二の天安門事件を招来する危険性を孕むことになる。中国政府が最も恐れているのはまさに1989年に大学生たちが天安門広場で繰り広げた民主化運動の再来だ。

その天安門広場は今やネット空間に移りつつある。ネット空間は「官」と「民」のネットパワーの攻防戦の様相を呈している。中国の憲法三五条では言論の自由が謳われている。しかし現実的にはそれは「政府を礼賛し共産党を讃える自由」であって政府や党に関する限り真実や自分の意見を思うままに公表することは決して許されない。

だから中国の網民は日本や欧米の自由主義国家では考えられないほどの執着を匿名性の高いインターネットに対して持っており「新意見階層」という群像をさえ生み出している。「広範囲にわたる瞬時の伝播性」というインターネットの特徴も力を発揮している。

4億を越える網民の1人1人が一つの放送局を持っているようなものだ。誰もが対等に意見を発表することができ、それに共鳴した他の網民が巨大な「ネット世論」を形成していく。

また、中国語で書かれた情報は中国大陸を越えて全世界に散らばる華人華僑の目に触れ、それぞれの国においてその国の言語に翻訳されてまさに全地球を覆っていくのである。どの国にも「党天下」の施政を逃れて移民し、民主化を唱える団体が待ち構えている。

中国国内のネット界では網民の中から「意見領袖」(オピニオンリーダーとして網民をリードする者)が現われ、強烈なネットパワーを形成している。「官」の不正を暴き、腐敗を糾弾して時には政府を動かし法律を撤廃させることさえある。

従来の新聞やテレビといった伝統メディアは政府のコントロール下にあるトップダウンの報道伝達であったのに対し、ネットメディアは社会的地位や貧富の差に関係なく誰もが対等に同じ重みを持つボトムアップの言論空間だ。

中国共産党は「人民こそが主人公」というスローガンを掲げながらトップダウンの思想を強要してきたがネット空間こそは、まさに「網民こそが主人公」という、地から湧き起こる声を具現化した。その声が政府を動かし、国をも動かし始めているのである。

— posted by チャパティー at 05:16 pm  

 

米中のパワーバランスはどう変化するか?

少なくとも民主活動家の拘置や軟禁などに代表される中国の人権問題が習の在任期間中に大きく改善されることはないと思われます。また習近平は2009年7月の新疆ウイグル自治区における大暴動の際、その弾圧を指示した張本人だったと言われています。

当時イタリアで開催されていた主要国首脳会議(ラクイラ・サミット)に出席中の胡錦濤に代わって軍部に深いパイプを持つ習が人民解放軍や武装警察などを総動員して徹底的な弾圧を行ったようです。

習が自ら政権を掌握した後はチベットやウイグルなどの民族独立運動に対してますます強硬な態度で臨むことが予想されます。もし実際にそうなった場合、人権問題や民族問題で中国を強く批判している欧米諸国との溝はさらに深まることでしょう。

1991年のソ連崩壊で冷戦が終了して以来、政治、経済、軍事のすべてにおいて「唯一の超大国」である米国が世界を主導する時代が20年も続いてきました。世界の約3分の1を占める巨大な個人消費力を持った米国が多くの国々から製品を輸入することによってそれぞれの国の生産活動が活発化し、世界全体の経済が成長する。

これが2008年に「リーマン・ショツク」が起きるまでの構図でした。「唯一の超大国」である米国が世界経済全体を回していたのです。しかし「リーマン・ショツク」の発生以来、米国は2年以上にわたって長引く不況、高止まりする失業率に苦しんでいます。

そのうえ米国は景気刺激のために巨額の財政出動や大幅金融緩和を繰り返しており、ただでさえ膨大な財政赤字がますます拡大することが懸念されてドル相場は下落。諸外国の米国債売りも徐々に加速しています。

いまだに米国が世界経済の中心にあることには変わりありませんが、その影響力はドルや米国債への信頼の低下とともに少しずつ失われているのです。一方で米国は20001年からのアフガニスタン紛争、2003三年からのイラク戦争などに膨大な戦力と軍事費を集中的に投入し、他の国や地域の紛争にはとても手が回らない状況が続いています。

たとえば北朝鮮の核問題に対して米国が本腰を入れた対応ができないのもアフガンなどほかの国々への対処で手いっぱいだからです。そのため北朝鮮問題については米国の代わりに中国が「6ヵ国協議」(北朝鮮・韓国・日本・中国・米国・ロシアの六力国が北朝鮮の核開発問題などについて話し合う会議)を議長国の立場で開催し、解決を図ろうとしています。

「本来であれば北朝鮮の友邦である中国に主導権は握らせたくない」というのが米国の本音なのですが、影響力を行使しようにも余力がないのですから致し方ありません。

この問題に象徴されるように経済だけでなく軍事、そして政治の世界においても米国の存在感の低下と中国のプレゼンスの拡大が年を追うごとに明らかになってきています。パワーバランスの変化とともに今後ますます世界に対する米国の発言力は弱まり、逆に中国の発言力はどんどん強まっていくことになるでしょう。

中国はこれまでどちらかと言えば米国からの要求や批判に対して受け入れられるものは受け入れ、譲るべきところは譲るといったようにあまり波風を立てずにやり過ごしてきた経緯があります。

これは郵小平が1990年代に掲げた「垢光養晦」(自らの能力を隠して外に出さない)という戦略に基づくものです。これは「相手に遠慮する」などといった謙譲の美徳ではなく、あくまで「相手を油断させる」ための戦略であると捉えるべきでしょう。

中国は「改革・開放」以来、安い製品を海外に輸出して経済成長を果たしてきましたが、その製品をもっとも多く購入してきたのは米国でした。つまり中国の経済発展は米国の繁栄によって支えられてきた側面があるわけです。

しかし米国は今後、消費一辺倒ではなく輸出に力を入れることで経済を立て直そうとしています。その米国製品をもっとも大量に買ってくれそうな国と言えば14億の人口を抱える中国以外にありません。

中国が米国に支えられた時代から逆に米国が中国に支えられる時代へと移り変わろうとしています。さらに米国は巨額の財政赤字を抱えていますが、その借金をもっとも肩代わりしているのも中国です。

— posted by チャパティー at 05:08 pm  

中国の一人あたりのGDP

英国の有力経済誌「エコノミスト」は2010年10月、仮に今後10年間の中国の年平均成長率が7.75%とした場合「2019年に米国を抜いて世界一位の経済大国になる」と予想しました。

同誌はその前提条件として米国の向こう10年間の年平均経済成長率が2.5%、年平均インフレ率は中国が4%に対し米国が1.5%、人民元の対ドル上昇率は年平均3%と設定していますが過去の実績を踏まえれば妥当な前提でしょう。

10年以内に米中経済の逆転が実現する可能性は高いということです。仮に2019年に米中が逆転しなかったとしても2020年代初めまでに両国の経済規模が肩を並べ、名実ともに米中が世界の「G2」(主要2ヵ国)として君臨する日がやって来るのは間違いありません。

ただし中国が米国のGDPに追い付いたとしても一人あたりのGDPで見れば相変わらず中国は先進国に肩を並べることができません。「エコノミスト」誌の予想に基づけば2019年の中国と米国のGDPは、それぞれ20兆ドル(約1,620兆円)前後となります。

米国の2010年時点の総人口は約3億人、中国は約13億人ですから仮に人口増加率がゼロだったとしても2019年時点の米国の一人あたりのGDPは6万6,000ドル(約540万円)、中国は1万5,385ドル(約125万円)と4倍以上の開きとなります。

仮に日本の経済成長がゼロで円が現在よりも対ドルで20%円安になったとしても2019年の日本の一人あたりのGDPは3万ドル以上になるはずですから、この時点でも中国の一人あたりGDPは日本の約2分の1ということです。

とはいえ米国と同じ経済規模の国が2つになることは世界経済に計り知れないインパクトをもたらすのも事実です。現在米国のGDPは世界の約30%を占めていますから中国経済が米国と肩を並べれば2つの国だけで世界経済の半分以上を牛耳ることになるわけです。

当然米国にとって中国はますます無視できない存在となり中国もその圧倒的な存在感を利用して米国や世界への発言を強めることになるでしょう。これは中国に隣接する日本にとっては決して無視することのできない変化です。

すでに日本経済は中国への輸出や中国市場における生産・販売活動を抜きにしては成長を維持できない状況に追い込まれています。少子・高齢化で日本の国内市場が縮小するとともに中国への依存度はますます高まることにな渇でしょう。

おのずと中国は日本に対して強気になり尖閣諸島問題や東シナ海ガス田問題、教科書問題などについて有無を言わせずゴリ押ししてくるようになるはずです。

しかし、どんなに経済が大きく成長しても中国には自分たちだけでは解決できない問題があります。代表的な例が深刻な環境汚染問題です。中国全土で大量に撒き散らされている汚染物質は国土と国民の健康を蝕み、経済成長を遂げれば遂げるほど国が再生不可能な状況に追い込まれるという矛盾をはらんでいます。

世界でも最先端の環境保護技術や省エネ技術を持つ日本ならそれを切り札に中国と対等に渡り合っていくことが可能だと思います。また、どんなに中国が世界経済にとってなくてはならない国になったとしても中国の異様な存在感の高まりを警戒する国は少なくありません。

南シナ海で領土問題を争う東南アジア諸国、新興国としての覇権争いを中国と繰り広げるインド、そして何より中国に雇用を奪われ、その輸出攻勢を受けて経常赤字に苦しむ米国。民主党政権は「日米同盟」の重要性をしっかりと認識し、日米を基軸に自由主義経済圏が一体となって中国に対して強固な包囲網を形成することを考えるべきでしょう。

一方で中国の一人あたりGDPが1万5,000ドルを突破すると中国の内政にも大きな変化が起きることが予想されます。一人あたりのGDPが1万5,000ドル前後というのは今日の韓国や台湾、スロバキア、サウジアラビアとほぼ同じ水準です。一般に一人あたりのGDPが1万ドルを超えると、その国の体制は独裁専制から民主体制に移行しやすいと言われています。

一人あたりのGDPが3,000ドルを超えると(現在の中国の水準)少なくとも食事がお腹いっぱいに食べられるようになり、物質的にも多少豊かになるので国民はそれなりに満足します。

しかし一人あたりのGDPが1万ドルを超えて衣食住が満ち足りてくると人々の意識は社会矛盾への怒りに向けられるようになってきます。軍事独裁政権から民主政権へと移行した韓国や国民党の一党独裁体制を直接選挙制度の導入によって打破した台湾がそのいい例です。

— posted by チャパティー at 05:48 pm